
最近、家具メーカーさんと話をしていると、こんな言葉を聞くことが増えました。
「高い家具が本当に動かなくなった。」
「安い商品ばかり求められる。」
確かに、世の中には以前よりも安い商品があふれています。
家具だけではありません。
動画もそうです。
短い動画が何本も流れてきて、じっくり見る長い番組は少なくなりました。
便利で、早くて、安いもの。
そういうものが選ばれやすい時代なのは間違いないと思います。
だから「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉を思い出すことがあります。
でも、私は少し違う見方もしています。
本当に人は、安いから買うのでしょうか。
逆に、高いから満足するのでしょうか。
私はそうでもない気がしています。
もちろん、価格には意味があります。
手間をかけて作られたものは高くなりますし、品質が良ければ長く使えることもあります。
でも、人が最後に満足する理由は、値札ではないような気がするんです。
先日、妻と一緒に夫婦茶碗を探しに瀬戸へ行きました。
実はこれで三回目です。
欲しかったのは、とても高価な茶碗ではありません。
夫婦茶碗になっていて、
妻は少し小さめ、
私は少し大きめ。
色や形も少し個性的で、毎日の食卓がちょっと楽しくなるようなもの。
そんな茶碗を探していました。
価格で言えば、一つ数千円くらい。
それでも私たちは何時間も歩いて、お店を何軒も回っていました。
「これ、いいね。」
「でももう少し丸い方がいいかな。」
「こっちの色もいいな。」
そんな会話をしながら探す時間が、とても楽しかったんです。
だから気づきました。
欲しかったのは茶碗だけじゃなかった。
「探す時間」そのものを楽しんでいたんだと。
一万円の茶碗だから満足するわけでもない。
千円だから満足しないわけでもない。
自分たちが納得して、「これにしよう」と決めた瞬間に価値が生まれる。
私はそう思いました。
でも、その日少し残念だったことがあります。
どのお店へ行っても、店員さんに相談すると返ってくる言葉はほとんど同じでした。
「店頭にあるのが全部です。」
「なければありません。」
もちろん間違ってはいません。
でも私は、本当はこう言ってほしかったんです。
「そういう雰囲気がお好きなら、この窯元の商品も合うかもしれません。」
「少し取り寄せもできますよ。」
「この形ならこちらがおすすめですよ。」
そんな一言があれば、そのお店で買っていたと思います。
店員さんがいる意味は、レジを打つことではありません。
袋に入れて渡すことでもありません。
それなら、自動販売機でもAIでもできる時代です。
人がいる意味は、一緒に探してくれること。
迷ったときに背中を押してくれること。
「あなたならこれが似合いますよ。」
そう言ってくれること。
家具もまったく同じです。
私は高い家具を売りたいわけではありません。
安い家具を否定したいわけでもありません。
家具は毎日使う道具です。
飾って眺めるためではなく、暮らしの中で使うものです。
だから大切なのは、「いくらだったか」ではなく、「これを選んで良かった」と思えること。
その思い出は、価格では決まりません。
最近はAIで何でも調べられる時代になりました。
商品の性能も、口コミも、価格もすぐ分かります。
だからこそ、人が介在する意味は以前より大きくなったと思っています。
一緒に話をして、一緒に迷って、一緒に探して、一緒に決める。
その時間に価値を感じてもらえる店でありたい。
私は家具を売る仕事をしていますが、本当に提供したいのは家具そのものではありません。
「この店で選んでよかった。」
そう思っていただける体験を、これからも一緒につくっていきたいと思っています。
